中国の五代十国の情報が詳しい!中国の五代十国といえば?
十八史略を読む-Ⅳー113-短命王朝の興亡-後唐-1―概要 後唐(五代の王朝は、いずれも上に後を冠して、過去に存在した同名の王朝と区別する)の建国主李存勗(りそんきょく)は、唐の懿宗の時勇名をはせた沙陀族の長、李国昌の孫である。 ...
十八史略を読む-Ⅳー120-短命王朝の興亡-後唐-8―唐主李存勗、弑せらる 唐主は、このとき“ぎょう都”鎮圧のため関東に向かっていたが、その途次、李嗣源が大衆を制圧して、官軍は離反したという報告に接した。 ...
十八史略を読む-Ⅳー116-短命王朝の興亡-後唐-4―名声も高すぎれば 晋王李存勗は帝位にのぼり、晋を改めて国号を唐と定め、唐の先祖を祀って、その後継者たることを内外に示した。 ついで“べん州”に攻め入って梁を倒し、大梁に首都を置いたが ...
... 121-短命王朝の興亡-後唐-9―李嗣源、二代皇帝となる 明宗皇帝は、異民族の出身で、部族名は“ばく佶烈(きつれつ)”という。晋王李克用の養子となって、嗣源(しげん)と改名した。 荘宗李存勗が梁を打倒するにさいし、李嗣源の戦功は誰より ...
... その混乱に乗じて、李存勗は朱一族が治める後梁に攻め込んだ。後梁を滅ぼした李存勗は後唐という国を建国したんだけど、李存勗は政治に省みず贅沢三昧の日々。李存勗は人々の恨みを買い殺されてしまった。それで後唐は滅んだ。 ...